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トピックス

自分のための時間を持っていますか?

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たまにイベントに出展させていただきますと、普段はアロマトリートメントを受けたことがないという方にも多く出会え、気軽にご体験いただけるので、いつもとはまた違った楽しい時間になります♪

 

「この香りに癒されるわ~」

「人にやってもらうって、初めて。気持ち良いもんですね」

と、初体験の方にもアロマは好印象♪

 

特に年配のお母様方は、お子さん、旦那様、お孫さん など、いつも家族を優先してご自身の事は後回し、、、というより、「自分のためにって考えてなかったわ。」と改めてしみじみ仰っておられました。

「でも、良いもんやね」と仰ってくださった笑顔は、何よりの私の報酬♪

 

お風呂に少しアロマをいれる。

お部屋にアロマをたく。

ハンドクリームをつける時に自分で自分の手を包み込み。

温かいタオルで手をまく。

洗面器にお湯をはって手をつける。

マグカップやお湯呑みを手で包み込む。

 

ほんの少しの時間でも、自分に優しく、自分のためのひと時が作れます。

 

アロマトリートメントの後、蒸しタオルで手を拭き取らせて頂いた時に

「温かいだけで、こんなに気持ち良いんですね」

と仰る方も。

 

温かいお湯

温かいタオル

 

日常の中で何度も繰り返しておられるかもしれない。

ほんの少し意識をするだけで、「いつもの事」が「癒し」に変わる事もあるのではないでしょうか。

 

私は、温かいお茶を気分によって飲み分けて「あーほっとする」って声に出しています。

声に出す事で心地良いって意識的に感じる事が出来るのです。

 

毎日の動きの中に「心地良い」って思うもの探しをしてみてくださいね。

そして声に出すか、ココロの中でも「あー心地良い」ってあえて感じてみてくださいね。

 

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カール・ロジャーズの言葉

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来談者中心療法を行ったアメリカの心理学者 カールロジャーズ。

クライアントによりそい、私の目指している最も敬愛する方です。

 

その方の著書やビデオはたくさん出ておりますが、ロジャーズのカウンセリング(個人セラピー)の実際 という本の中から一部抜粋いたします。

この本は、実際に継続カウンセリングの中のとある1回の会話内容が英語と日本語で記載されています。

ご紹介するのは、カウンセリングが終了した後のロジャーズの感想 より。

 

“ある意味では、セラピーの中で行われることは、クライアントに対して本当にやさしい気持ちで、その人が本当に自分の感情を持ち、自分の人生を生きていくように援助することであり、セラピストが他の人に与えうる最大のものは、最小でなく最大のことは、その人の感情に別の人間として、喜んで寄り添って歩んでゆくことだということをおわかりいただきたいと思います。”

 

心理カウンセラーは、最初に心理学について勉強してから、そこからがスタートで、根っこのところは、何度も何度も繰り返し自問自答しながら学びを深めてゆきます。

根っこのところは、頭ではわかっていて、知識としては持っていても、それが自分のものになっていない、腑に落ちていないということに何度も気づかされます。だから、何度も繰り返し自問するのです。

 

大切なのは、知識やスキルの前にも後にも、このロジャーズの言葉に尽きると、私は思います。

この言葉の本当の意味の理解を深めてゆくことが、心理カウンセラーとして問われるところなのではないかなと思うのです。

 

心理カウンセラーは、同調するでもなく、道を示すのでもなく、かわいそうにと思うのでもなく、間違っていると思うのでもなく、その方がどう感じ、どう生きていきたいのか。を、ご自身で決めて、進んで行って良いんだと、

思える援助をするものなのだと思います。

心理カウンセリングでは、今まで経験された孤独や恐怖を振り返る作業になることもあります。クライアントのその感情の中を一緒に寄り添いながら歩いていくことが私の役目なのだと、心理カウンセラーとして感じています。

 

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弱音は吐いて良いんです。

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失敗したらどうしよう。

私にできるんだろうか。

 

不安な気持ちをぐっと押し殺して笑顔で対応。

不安をなかったことにし続けていると、抑圧された思いはぎゅっと凝縮されて、ここぞという時にひょっこり顔を出すかもしれません。

 

また、不安のあまり動けなくなってしまうこともあります。

 

弱音を感じることは決して悪いことではありません。

弱音を吐かないのが強いのではなく、だめだったらどうしよう と思う自分もいる ということに気づいてあげる、認めてあげる のは強さへつながるのだと思います。誰しも、弱い部分は持っています。

 

弱い部分を認めるのに、言葉にする という方法があります。

言葉にすることで、押し込められていた感情が表にあらわれ、あぁそう思っているんだと自分で認識できるのです。

 

私にできるんだろうか という言葉にはどんな気持ちが隠れていますか?

怖い?実はめんどくさい?不安?やるのが嫌?

なるべく自分の気持ちに近い言葉を探し、時間を決めてその言葉を車の中、家で一人の時、お風呂でシャワーを流して外に音が聞こえない時 などまわりに誰もいない状況で何度も繰り返してください。

1~3分以内がベターです。

怖い 怖い 怖い 怖い・・・・・を1~3分

 

言う前と後では何か違いませんか?

感情を吐き出してゆくというのは、とらわれていることが気にならなくなってゆくということなのです。

 

ちなみに私もよくこの方法はやります笑

人に聞かれないところでやってくださいね♪

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人前で話すときの緊張解消法

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人前で話す必要のある時。

スピーチを頼まれたり、大事な会議での発表があったり、授業中にあてられて音読させられたり。

 

私の前職は司会なのですが、実は私は赤面症なのです。

学校の授業中、先生にあてられ発言をするだけで顔が赤くなっていました。

一度その経験をすると「顔が赤くなったらどうしよう」と思う不安からさらに赤くなっての悪循環。

その私がよくもまぁ、人前で話す仕事を選んだものだと今でも思います。

今も講師の仕事をさせていただいたり人前で話す機会は増えているのですが、

緊張をしたまま仕事に入ると戻すまでに時間がかかりすぎます。

 

ナレーションの仕事を初めていただいた時、緊張のあまり、顔は真っ赤になって、覚えいてた台本がすべて飛んでしまったことがありました。プロとして失格ですよね。

その時はわからなかったですが、今思うと、「失敗したらどうしよう」「うまくやれるかな」と自分にばかり意識がいっていて、目の前のお客様がどう感じているかということは一切考えていなかったのです。

 

司会の仕事は自分が主役になるのではなく、お客様の状態(楽しんでいるか、屋外であれば熱中症、人込みであれば将棋倒しにならないか)などに気を配り進行状況に注意を向け円滑にステージが進む様にサポートするのですが、そこに気を配っていれば、自分に意識を向ける暇はないのです。

 

人前でお話をされる機会のある方は、自分に意識を向けるのではなく、

相手の状況や状態(会議であれば皆さんに説明が伝わっているか、疑問や反論がありそうかななどを表情で確認したり)に意識を向けてみてください。

 

とは言っても、始まる前は私もいまだに緊張はします。

その時には、自分が落ち着く方法を作っておく です。

これは普段から癖として行うのが一番ですので、緊張しやすい方は自分が落ち着く方法を日ごろから実践していざというときに慌てずに行える様になさってください。

 

私が日ごろから行っている自分が落ち着く方法をお伝えいたします。

アスリートの方も実践されている方法です。

 

まず、こぶし1個分くらいに足を開き体を安定させて立ちます。

骨盤の位置を左右対称にするイメージで落ち着かせ、両手を上にあげて肩からストンと落としまっすぐに立ちます。

首を後ろに倒してから(緊張が強いときは2~3回まわしてから)ストンと正面を向きます。

これで体に余計な力が入らず体が安定します。

目を閉じて、鼻から息を吸って口からゆっくりと吐きます。3回くらいを目安に行いますが、呼吸が浅いときは、さらに繰り返します。

 

慣れると時間はかからず、行えます。

体を安定させて、心が落ち着く方法です。

 

私は最後に口角をあげて息を大きく吐いて、出番!としています。

 

人前で話す緊張が強い方は一度お試しください。

 

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喪失感

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喪失感。大切なものを失ったときの空虚な気持ち。と辞書にはあります。

 

大切なものは、人、もの、街、ペットなど、さまざまです。そのものを失ったことと同時に、それらにまつわる日常を失った時に感じるのではないかと思います。

朝目覚めれば、当たり前におはようと言いあっていた人。

毎日、目に、手に触れていたもの。

そこにあるのが、そこにいるのが、あまりにも当たり前だったからこそ、人は喪失感を抱えるのではないでしょうか。

 

そこには、何年経ったかは関係なくて、

早く忘れなきゃ。

いつまでも泣いているなんて。

と、思わなくて良いのです。

抱えている感情が消えないのは、それだけ自分の中で大切にしていた、そして今も大切な証なのですから。

 

喪失感は乗り越えるものなのではなく、受け入れてゆくものなのではないかと思います。

月日が経ち、悲しむ頻度が少しずつ減って、それまでとは違う日常をおくる様になって、人によっては罪悪感を感じることもあるかもしれません。

でも、それは、忘れたり、乗り越えたり、別の道を進むということではなく、

その悲しみを抱え、共に生きてゆく、共に進んでいく ということなのだと思います。

 

70代の女性の言葉です。

「何年経っても、おかあちゃんが恋しくて。私はなんて思い切りの悪い人間なのかと思うの。でも、そういうものなんだと思う」

 

おかあちゃんが亡くなられてすぐの時は、恋しいと思っていると言葉にならなかったと思います。

泣いて、悲しんで、呆けて、、、少しずつ 少しずつ たどり着いたところが、この方は 恋しい だったのです。そして、何年経っても恋しいと思っている自分を “そういうものなんだ”と、ちょっとずつ受け入れて、今、恋しい気持ちと共に生きておられます。

 

大切な人、大切なもの、大切な日常だったのだから

その想いが心に残るのは、あたりまえなんです。

 

これから、状況や状態、経験などによって、その想いは様々形を変えてくるでしょう。

その時々も、ご自身の大切な一部として慈しみ、失った人、もの、想い に語り掛けてみてくださいね。

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